【主な登場人物】※すべて仮名 年齢は2002年時点
滝(38歳)
このブログの著者。
長い無職生活のすえに零細ブラック企業マルビに入社するが、砂川社長との確執のため、わずか3か月で解雇される。
砂川社長(38歳)
事務機器会社を退職したあと、奥さんの親に資金を出してもらい有限会社マルビを設立。また「経営の多角化」と称して愛人と居酒屋も営んでいた。
司法委員
和解の仲裁をする人
一度目は交渉決裂
裁判官からの執拗な和解の提案を受けたあとは別室に移動し、会議室のような部屋に移って行われました。
参加者は私と砂川社長、そして司法委員の3人。約34万円の未払い賃金を何回払いにするかを交渉することになります。たった34万円を分割払いです。
まず司法委員が私に「何回なら分割を受け入れられますか?」と訊くので「2回」と答えました。
社長は会社の財政難を理由に10回と言います。
たった34万円を10回払いにされてはたまりません。
そのあと司法委員と社長との2人の話し合いになり、そのあいだ私はロビーで待ちました。
和解はこのように当事者の一方が退室し、裁判官や司法委員と交互に話し合いを繰り返します。
社長は8回払いなら応じると言ったそうですが、もちろん拒否です。
結局この日は話がまとまらず、後日あらためて和解協議を行うことになりました。それでまとまらなければ判決が出るそうです。
司法委員から「次回までに、お互いもう少し歩み寄れないか考えてください」と言われて、この日は終了となりました。
2度目の和解協議で合意
2週間後の2003年1月31日、午前10時から2度目の和解協議です。
社長は前回の8回払いに代えて、7回払いと言います。1回しか減ってません。なめてますね。
私はここで強気に「じゃあ和解はしません。判決をお願いします。それで払わなければ強制執行します!」と言いました。
司法委員は社長に「もう少し現実的な回数を出せませんか? 狭い町なんですから、あと腐れを残さずにスッキリ解決したほうがいいですよ」と言います。
私にも「もう少し譲れませんか?」と訊くので「じゃあ3回」と答え、予想どおり間を取って5回払いとなりました。
これで和解が成立して有限会社マルビ、というより砂川社長との戦いは一応ケリがついたことになります。
期日になっても入金なし
翌月の2月10日、マルビからの1回目の支払日です。夕方まで待って口座を確認しましたが、振り込まれていません。
和解調書には1回でも支払いが遅れたら一括払いになるとも明記されていますから、やっぱり払う気はないのかもしれません。
こうなったら強制執行ですが、そのためには和解調書に「執行文」という強制執行ができる証明書を付与してもらう必要があります。
さっそくパソコンで「執行文付与申請書」と、それに必要な「送達証明申請書」を作成しました。
翌日、裁判所へ行く前にもう一度口座を確認すると、1日遅れでマルビから1回目の金額が入金されていました。ま、今日のところは勘弁してやるか。
もう一度でも支払いが遅れたら取引先からの入金を差し押さえるつもりでしたが、そのあとは遅れることなく6月に全額の支払いが終了。
あの1日遅れがウッカリだったのかワザトだったのかはわかりませんが、マルビを解雇されてから11か月目にして、ようやく未払い賃金を回収できました。
こうして私と砂川社長との争いは、約1年がかりですべてケリがついたことになります。
地元の経済誌に寄稿
私がマルビの砂川社長に解雇された2002年は完全失業率5.4%と過去最高を記録。マルビのようなブラック企業にとっては、いくらでも人を使い捨てられる環境にありました。まさに人材の100均状態です。
当然、私のように企業を解雇されたり賃金が払われなかった人は多かったようです。裁判が始まる前に各法廷の前に掲げられている訴訟の名前を見ていると、未払い賃金の請求を求める裁判が同じ日の同じ時間帯に行われていました。
こうした労使間の紛争が急激に増加したため、当時の裁判所は同じような事例を山のように抱えたことでしょう。そして、こうした状況が今では多く利用されている「労働審判」という制度が生まれることにつながります。
マルビの砂川社長との1年間に及ぶ争いのあと、私は今回の顛末を世間に暴露するため地元の経済誌に原稿を送って見開き4ページの特集を組んでもらいました。
しかし、すでに和解が成立して支払いも完了しているため、マルビの社名も砂川社長の名前も仮名にされてしまいました(このブログでも仮名です)。
それでも狭い町なので、マルビや砂川社長を知っている人たちには誰のことかは伝わったのではないかと思います。